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元戦略コンサルが監修!30代中堅社員に送る生産性を150%アップさせる仕事術

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私はいかにしてコンサルタントになったのか?

はじめまして。今日からブログを始めることにしました。


まずは、自分のことを知ってもらいたいと思い、プロフィー
ルを書くことにしました。

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生まれは兵庫県神戸市

私は兵庫県の神戸市で三人兄弟の次男として生まれました。

神戸市の中でも西にある須磨というところです。

ここは古くから風光明媚な場所として有名でしたが、平安末
期の源平合戦で、源義経が平家に壊滅的な一撃を与えた「一
の谷の戦い」が行われた場所です。


父は、もともとは会社勤めをしていましたが、脱サラをして
中小企業診断士の資格を取り、自宅で仕事をしていました。

幼い頃は、友達のお父さんと違ってなぜうちの父親は会社に
行かないのかと不思議でしたが、気がつけば自分も父と同じ
独立コンサルタントとして活動しているのは何かの因縁かと
も思っています。

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一発逆転! 大学受験

小学・中学と地元の学校に通い、高校は県内の公立の進学
校に入学しました。

特に高校で何をするかを決めていなかったのですが、同じ
中学から行った同級生が
「この高校にはラグビー部があるんだが、一緒に入部しな
い?」と誘われて、ラグビーを始めることになりました。


その時のラグビー部の部長は、この高校の卒業生なのです
が、体育大学を卒業したばかりで、とにかく厳しい指導が
続きました。

私自身も初めて楕円球を触るので何とかして上手くなりた
いと朝の自主練習から放課後の練習までと、高校生活が部
活動一辺倒の生活になりました。


そんな生活を続けていましたが、高校三年になって自分の
進路を決める時期になりました。

進学校だったので三年生は春の大会で引退し、それ以降は
受験勉強に専念するというのが慣わしだったのですが、
自分たちのチームは春の大会でいい成績を残し、もしか
したら年末の全国大会にも出れるのではという評判が立ち
ました。

ラグビーの全国大会は花園で行われ、高校ラガーにとって
は野球の「甲子園」のような憧れの存在です。

チーム内でもさんざん話し合ったのですが、結局12名いた
三年生のうち、自分を含めて4名しか残らないことになり
ました。


このため戦力の低下は否めなく、秋に行われた全国大会の
予選の準決勝で敗退し、花園の夢は無残にも砕け散って
しまいました。

 

気がつけば、そろそろ年末を迎えようとした頃でしたが、
全く受験勉強などしなかったので、予想通り受験した大学
からは合格をもらえず、浪人することとなりました。


ここでふと考えたのです。「一年間という期間を与えられ
たのだから、どうせ受験するなら、そこそこ勉強して近く
の大学に無難に入学するよりも、一番難しい大学に挑戦
するべきだ」という思いから目標を立てました。

 

  • -当時はまだ共通一次試験の頃で、国立大学は受験科目数が多く、限られた時間の中では全ての科目のレベルを上げるのは難しい
  • 私立大学は、受験科目の少ないところもあるので、絞り込んで徹底的に勉強すれば勝ち目があるかもしれない

最初、近くの予備校に通い出したですが、全員の理解を
確認しながら授業を進めていたので、「このスピードで
は駄目だ」と一ヶ月近くで辞めてしまい(今考えると
勿体ないことですが)、それからは一人で勉強を進める
ことになりました。


朝9:00に自転車で図書館に出向き、そこで17:00まで勉強
をし、その後自宅で夕食を取った後に、また3〜4時間程
度勉強するという生活を一年間続けました。


すると不思議なもので今まで全然勉強をしなかった自分
が勉強をすることにも苦を感じなくなり、当時の私立大
学の偏差値のトップの大学に合格したのです。

大学時代から就職まで

それでは、大学入学後も勉強を続けていたのかといわれ
ると、またラグビーの虫が目を覚ましてしまいました。

しかし、親元から離れて仕送りをしてもらう立場上、
自分でもお金を稼がなければならなかったので、大学
のラグビー部ではなく、クラブチームという同好会的
なところでラグビーを続けました。


当時は大学四年生の夏に就職活動が始まっていました。

バブルの終盤にさしかかっていましたが、いまだ「売
り手市場」で各企業の学生の引き留めが盛んな頃でした。

 

就職人気ランキングなどから商社や銀行などが人気でした、

しかし、金融のように目に見えないサービスではなく、
実態のあるものを扱いたいという思いもありましたし、
日本のメーカーが世界を席巻していたこともあり、コピー
機などの事務機器を製造するメーカーに就職しました。

冷や汗もののクレーム処理

この会社で、事務機に使うサプライ用品を東南アジアの
各国向けの販売を担当していました。

この製品は感熱紙といって紙の上に熱で反応する薬剤を
塗布したもので、主にファックス機で使われていました。

 

ある時、この感熱紙を鉄道のチケットとして利用したい
という話が台湾から届きました。

これは当時の東南アジア地域での販売からみてもかなり
大きな商談で、部内での大きな話題となりました。

 

しかし、商品を出荷してしばらく経ってから、お客様
から「印字した文字が消えてしまう。どうなっている
のか」というクレームが入りました。


出荷した製品は、コストを抑えるために熱によって印
字された文字が褪色しないようにする保護層が表面に
塗布されておらず、印字してから日数がたつと文字が
薄くなるのは仕方のないものでした。

しかしお客様は「字が消えるとはどういうことか。
欠陥品でないのか」は非常に怒っており、商品の全量
を無償で切り替ることを要求してきました。


日本ではこの製品は、一日の使い切り用切符として
販売していたが、この台湾のお客様は前売りチケット
として発売することを考えておられたのです。

このため、何ヶ月もなめにチケットを購入しても、
実際に乗車する際に文字が判別できなくなってしま
うのです。


自分たち常識で、「この商品はこういう風に使われる
ものだ」と勝手に判断してしまい、お客様に確認しな
かったためにこのような事態が発生してしまったのです。


クレーム発生後、窓口担当として社内の製造、研究
開発、品質保証と連携し、どのように対応するかを
検討し、また何度も台湾に足を運び、お客様に製品
特性の説明とここに至った経緯を丁寧に説明しました。


その努力の甲斐が実り、結果的に発生した費用を折半
することで決着しました。

合意に至った時に先方の責任者から、「あなたには
非常に熱心に対応してもらったのが良かった」と
お褒めの言葉を頂き、それまでの苦労が消えるよう
な気持ちになりました。

コンサルティング業界への転身

その後も、そのメーカーで、中南米向けのコピー機の
新商品の立ち上げなどに参画し、順調なサラリーマ
ン生活を続けていました。


しかし、ある時、欧州から帰任したての上司から
「君はあまりものを考えて仕事をしているようでな
いね」と言われました。


台湾でのクレーム処理など自分では物事を考えてやっ
ているという自負があっただけに、この言葉には少な
からず衝撃を受け、思わず「ちゃんと考えていますよ」
と言い返してしまいました。


しかしながら、冷静によく考えてみると、私が勤務し
ていた会社は、業界でもトップ企業でしたし、精密機
器業界自体がある意味で成熟期にあり、事業が安定的
に進んでいました。

そのため、次の年にどのような事業成績になるかは
ある程度目処がついており、事業計画の作成の時も
「それじゃあ、昨年度の5%増しで」といった感じで
した。

 

全てが予定調和的に進んでいた環境にいたので、
考える範囲が非常に狭まっていたこのです。

その点をこの上司は指摘したのだと思います。


「このまま、この会社にいたら自分自身が駄目な
ビジネスマンになってしまうのでは」という危機感
が自分の中でふつふつと沸いてきたのです。

とにかく「考える」ということにきちんと向き合お
うと思い、まずは社会人向けの大学院に入学し、
仕事を続けながら経営学を学び直すことにしました。


仕事の後の夜間と週末の授業への参加と修士論文の
作成と、ある意味、浪人時代を思い出させるような
生活になりましたが、無事に二年間のカリキュラム
を修了することができました。


その大学院での他の会社に勤務する社会人学生との
交流は、次の自分のキャリアを考える際のいろいろ
な気づきを与えてもらいました。

その時に経営コンサルティングという仕事を知り、
非常に興味を抱きました。


経営コンサルタントは、

  • -企業における重要な節目での活動(例えば中期事業計画の作成や組織変更など)に常に携わることができる
  • そのような節目の仕事は、一つの企業に勤めていると5~10年おきに訪れるが、自分がその時にその活動に参加できるかはわからないが、コンサルタントは常にそのような機会に接することができる
  • 結果的に短期間でもかなり「濃い」経験が得られるのではないか
  • 何となく「コンサルタント」とい響きが格好良かった(ミーハーですね)

という期待から、メーカーを退社し、外資系のコン
サルティング会社に転職することにしたのです。

自分の実力のなさを思い知らさせる

たしかに前職の上司の指摘は正かったことが判りま
した。

外資系のコンサルティング会社に転職し、「これか
らは企業の様々な経営課題に取り組み、知識と経験
を身につけ、将来は経営する立場に身を置きたい」
という願望をもって意気込んでいましたが、自分の
実力のなさに痛感してしまうことになりました。

 

そのコンサルティング会社は、当時ある分析手法を
売りにしていたのですが、これは手法そのものを売
ると言うよりも、その手法で業務を分析して最終的
にその会社が一番売り込みたいERPシステム開発を
受注するためのきっかけとして使われていました。


この手法を使って、ある会社の研究開発部門の改善
というテーマがあり、そのプロジェクトのプロジェ
クトマネジャーを任されることになりました。

自分としては初めてプロジェクトの実行責任者とし
てプロジェクトをリードすることになったのです。


お客様の会社の経営陣は、市場が変化している中で
次の打ち手としてどんどん新規分野への取り組みを
進めたいのだが、製品開発の肝である研究開発が何
をしているのかが全く判らないという悩みがありま
した。

そのため、この手法で実態を「見える化」したいと
いう思いで、発注された訳です。


チームメンバー三名と共にこの手法を導入して実態
の解明を行おうと考えていたが、世の中そんなに甘
くなかったです。


そもそも研究開発というクリエイティブな業務に効
率性という視点を取り込もうとするのが無理なこと
であり、結局改善の打ち手がみえないという状況に
陥ってしまいました。


上司に相談しようにも、コンサルタントとしての実
力がないために、話にならず論理的にかつ突き詰め
て考えいないといつも怒られていた。

個人的に非常に追い詰められてしまった。あまりに
疲労困憊して、入浴中に眠ってしまい、あやうく湯
船で溺れそうになったくらいです。


しかし、あるときふと「仮説思考だとか論理的思考
だとか大上段に構えずに、シンプルに考えればいい」
ということに気づいた途端、目の前が明るくなった気
がしたのです。


今にして思えば、この経験があったからこそいまも
コンサルタントとして活動できているのだと思います。

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事業会社の取締役として

経営コンサルタントとして支援した業界は、メーカ
ー(半導体製造会社、自動車部品製造会社、住宅資
材製造会社など)、サービス業(警備会社、不動産
会社、出版、人材派遣会社等)、金融業、通信業等
多岐に渡り、八年近くが経ちました。


たしかに経営コンサルタントは、企業の経営課題の
解決に向けた支援を行うのですが、あくまでも
「外部のアドバイザー」の域を出ることはなく、
最終決定するのはクライアントになります。


これまで状況から最も合理的な解決策と考えて提案
しても、採用されないこともあるし、フィーの高さ
から契約が取り組みの半ばで終了されることも多く、
やりきったという感じが得られないことに疑問を感
じることが多くなりました。


一度反対の立場で経営を見てみれば、お客様の考え
ていることや判断基準がよく理解でき、今後のコン
サルティングというサービスを提供する際の幅と深
みがでるだろうと思うようになりました。


そんな折、当時勤務していたコンサルティング会社
のお客様のひとつに投資ファンドがあり、その投資
先の経営陣の変更を考えているという話がありました。

その投資ファンドは、対象となる会社に投資して5年
近く経ち、そろそろ事業売却を考えていたのですが、
経営陣と対立してしまい、膠着状態が続きました。

私のコンサルティング会社に相談に来られ、経営陣の
刷新という苦渋の決断をすることになりました。


自分としては、丁度タイミングのいいときに事業会社
での経営に参加できるという話があり、売却の環境が
整うまでと言う期間限定でしたが、挑戦することに
しました。


しかし、この経営陣の交代は社内にも全く知らされて
おらず、社員にとっては「青天の霹靂」に近い一大事
だったのです。

私は肩書き的には「専務取締役」ですが、社員から見
れば、いわゆる「落下傘的」にやってきた新経営陣な
ので、最初の大きな課題が経営交代に伴って会社が空
中分解してしまわないようにすることでした。


その課題に対してまず「新経営陣としてのビジョン」
を示す必要があるだろうということで、そのため就任
三ヶ月で中期事業計画を一気に作成し、全社方針発表
会で新経営陣が目指す経営について社員説明すること
ができました。


この他にも、不採算事業の整理統合など、コストの垂
れ流しの構造に歯止めを掛けることについても陣頭指
揮を執り、ようやく売却の環境が整ったと言うことで
当初の約束通り、この会社を退任することになりました。

このブログを始めた理由

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その後、経営コンサルティン会社と事業会社で得た
経験をもとに、組織ではなくもっと機動性の高い独
立コンサルタントとして活動しようと言うことで、
会社を設立しました。

現在は、お客様の会社が事業目標を達成できるにす
るために、組織や人の生産性を向上させるお手伝い
をしています。

特に、人の生産性の向上に関しては、ビジネス・ス
キルのトレーニングだけでなく、行動面の変革を促
すコーチングまで手がけています。

 

このブログを始めた理由ですが、メーカー、コンサ
ルティング会社、独立と様々な経験をしてきました
が、今振り返ってみると「あの時、こういう視点が
あれば苦労せずに答えを導き出せただろう」とか
「このノウハウを知っていればもっと手短にこなせ
ただろう」と思うことがたくさんあります。

当時の自分に教えることができればいいのですが、
残念ながら、時計の針を巻き戻すことはできません。


携わっている仕事は違えども、同じ悩みに直面して
いる30代の方が多いでしょう。

このブログで、困ったときに役立つノウハウやコツ
を伝えることができれば、少しはお役に立てるので
はないかと思い、ブログを始めることにしました。