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あなたは成功体験を捨てられますか?

木村政彦という人を知っていますか。

史上初の全日本選手権三連覇を達成し、「木村の前に木村な
し、木村の後に木村なし」とその強さが語り継がれている
希代の柔道家です。

その木村政彦の波瀾万丈の人生を綴った作品が、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。

この本は、柔道だけでなく、第二次世界大戦前後の格闘技史
を絡ませながら綴った700ページの大作で、非常に読み応え
があります。

柔道家としての頂点を極める

熊本県の貧しい砂利取りの家に生まれた木村は、幼い頃から
砂利取りの仕事を手伝ううちに強靭な足腰を身につけました。

その才能を当時日本トップの柔道家である牛島熊辰に見いだ
され、地獄のような特訓により柔道の実力を磨き、ついには
牛島が成し遂げられなかった日本チャンピオンに輝きます。

 

とにかく勝負にかける木村の意気込みは凄く、命をかけて試
合に臨んでいました。

実際に負ければ腹を切る覚悟でいたそうです。

「本当に腹が切れるだろうか…そう思って、ある晩、宮内省五段選抜試合の優勝時にもらった短刀を老い知れから引っ張り出した。両手で塚を逆手に握り、腹に突き立ててみた。鋭い痛みが走って大量の血が噴き出し、刃に滴る。狭い部屋に血の臭いが満ちた。よしこのままズブリと指して引き斬るだけだ。いつでもできると思った」

 第二次大戦以降の転落

しかし、戦争が木村の人生を狂わせてしまいます。

柔道家としての脂が乗り切った全盛期を兵役に取られてしま
った上に、戦後に生活のためにプロに転向してしまったため、
柔道界からはその存在を抹殺されてしまいます。


柔道の世界では不敗と言われた木村が、プロレスラー時代に
力道山の引き立て役にされたことを不満に思い、ついに力道
山に一騎打ちを申し出でます。

当時の格闘家の間では、全日本チャンピオンの木村が本気に
なれば、関脇上がりの力道山は寝技で片を付けられてしまう
と見られていました。

この一戦は、当初プロレスを取り巻く関係者の調整で、一勝
一敗の引き分けで終わるはずでした。

しかし、試合では力道山がその取り決めを破り、木村をノッ
クアウトしてしまいます。


その後、「力道山に破れた男」というレッテルを貼られ、
不遇の人生を歩むことになりますが、母校の柔道部の師範と
なり、岩釣兼生という弟子を見いだし、75歳の人生を閉じ
ます。

 

成功体験を捨てられるか

木村は武道家としては、類いまれな才能を発揮したが、その
過去の成功が常に判断基準となってしまい、時を見るという
感覚がなかったようです。

対照的に力道山は、政財界だけでなく裏社会からの支援を
取り付け、プロレスを一大エンターテイメントにまで仕立て
上げました。

世の中には、遠目から見ると魅力的な人物だが、近くにいる
と正反対の人がいるが、力道山はまさにその典型的な例と
言えます。

とにかく人を信用することがなく、自分の金銭欲・名誉欲の
ために利用しようとし続け、多くの関係者が好意的なコメン
トをしていません。

 

成功体験を捨てるという点では、ファーストリテイリング
代表取締役会長兼社長の柳井正氏は、ユニクロの成長の軌跡
と成功の裏にあるユニクロイズムとは何かを、その著書の
「成功は一日で捨て去れ」の中で語っています。

 

ユニクロは、フリースブームにより2001年まで増収増益を
続け、一躍小売業の風雲児
としてもてはやされました。

そんな絶好調の時期に柳井氏は、社長職を玉塚氏に譲るこ
とになります。

しかし、そのころより収益に陰りが見え始めます。

 

柳井氏は、その現象を小さな成功に満足してしまったため
だとし、3年後に自ら社長職に復帰し、第二の創業と位置
付け、ZARAやGAPなど衣料小売業のグローバルカンパニ
ーに伍すべく、M&Aと社内改革によってさらなる成長を
続けることになります。

 

往々にして成功する人というのはそのくらいのバイタリ
ティーがなければならないのでしょうか。

 

ただただ感心するばかりです。

参考文献